開館10周年記念 カミーユ・ピサロと印象派 永遠の近代 徹頭徹尾、印象派。 [美術館 ARTNEWS アートニューズ]
開館10周年記念 カミーユ・ピサロと印象派 永遠の近代
徹頭徹尾、印象派。
Camille Pissaro
Patriarche de la modernite
カミーユ・ピサロ≪オニーの栗の木≫ 1873年頃 個人蔵
フランス印象派と言えば、まずモネやルノワールの名前が浮かぶ。
しかし実は、彼らは計8回の「印象派展」に、半分ほどしか参加していないのだ。
印象派の画家のなかで最年長者であったピサロは、風景画を得意とした印象派の父ともいうべき存在の画家。
印象派の画家には、女性を美しく描いたルノワール、「光の画家」と呼ばれるモネ、同じく風景画を得意としたセザンヌやシスレーなどがあげられるが、ピサロは最年長だったため、無数の枝葉の中の動かぬ幹のように、しっかりと印象派の美学を支えつづけた揺るぎのない存在であった。
個性あふれる印象派の面々を最年長者として忍耐強くまとめ、8回の展覧会に欠かさず出品した唯一の画家である。
そのピサロの展覧会が兵庫県立美術館の開館10周年を記念した特別展として2012年6月6日(水)より、開催された。
宇都宮美術館をキックオフとしたこの展覧会は、しっかりと練り上げられた展覧会。
かなり期待できるのだ。
この展覧会では、国内外に所蔵されるピサロ約90点に、モネやルノワールも加え100点以上を展示。
印象主義の探求に生涯を捧げたピサロの作品を軸に、近代の絵画、そして社会の原点を、あらためて見つめ直すのがコンセプト。
ピサロは、ファン・ゴッホやスーラなど新世代にも慕われ、印象主義のためには新奇な手法を取り入れることも恐れなかったことは、あまり知られていない。
ピサロは大変温厚な性格で、人間性豊か。そのため画家仲間の信望が厚く、ファン・ゴッホやセザンヌらの若い世代の画家を擁護し、また励ましてもいた。
生来気難しく、人付き合いの悪かったセザンヌさえもピサロを師と仰ぎ、しばしば共同制作を行なったくらいである。
また、マティスとはしばしば印象主義について熱心に討論するなど、数多くの画家たちがピサロの考えを分かち合い、彼を慕っていたことは、よく知られている。
セザンヌが、ピサロのことを「老いぼれ」と罵倒した時も、彼は「セザンヌは、今、精神的に不安定なだけだから・・・」とセザンヌをかばっていたというエピソードから、人間的にも筆者は尊敬していた。
しかし、この展覧会によって筆者にとって、ピサロの新事実が明らかにされた。
江上 ゆか 兵庫県立美術館学芸員の解説によると、温厚な人柄に反して当時、極めて前衛的であったという。
筆跡を残さない、なめらかな出来栄えは当時のサロンでは当たり前のことであったが、それに反旗をひるがえし、自分達で発表の場である共同出資会社を作る。
皆で金を出し合い、経済的にも自立する社会における画家のあり方を示したのである。
また、1880年代半ば、ピサロはスーラやシニャックらと点描技法に取り組む。
このときピサロは50代。息子と同世代の仲間たちと最先端の表現に挑むピサロ、老いてますますトンガっているのだ。
若い世代を上から指導することはあっても、なかなか一緒に若い人達と新しいことに取り組めるであろうか。なかなかできないことである。
さすが、ピサロである。
彼ら新印象主義と呼ばれる画家たちの多くは、当時流布していたアナーキスム(無政府主義)の思想に共鳴していた。
ピサロは、積極的にアナーキスト達を支援していた。
ピサロの穏やかな作風と過激な思想とは、一見、相容れぬようだ。
しかし芸術家としての探求の厳しさに、既にピサロの過激さはあらわれているとも言えるのではないだろうか。
ピサロの交友関係とともに、その生涯と制作をふりかえり、印象派そのものについて、そして彼が描いた「自然」について、あらためて考察しようという試みの展覧会である。
ピサロのことはよく知らないというかたも彼の作品の静謐さや人柄に触れると必ずやファンになると断言しても過言ではない。
この展覧会は、日本人にピサロの功績を示し、さらなるピサロのファンを増やすきっかけとなるであろう。
筆者自身、ピサロの作品をパリのオルセー美術館で拝見してから、大ファンになった。最も尊敬すべき画家のひとりである。
この「カミーユ・ピサロと印象派 永遠の近代」展は、必見。
何としても見に行かれることをお勧めする。
ピサロの生い立ち
ピサロは、今から約180年前の1830年、カリプ海のセント・トーマス島にボルドー出身のセファルディム(スペイン・ポルトガル系ユダヤ人)の三男として誕生。
父親が貿易商人だったため、最初は父の下で働きながら、港での仕事の合間に画帳に素描をしていた。しかし彼の父はそれをよくは思っていなかった。
それゆえ彼は1852年、22歳のとき、絵を描くためにひそかに家出をした。
それからの数年間は、カリブ海の島々で原住民の生活や椰子の木のある風景などを描き、1855年、芸術の都パリに出る。
パリで彼は、カミーユという同じファーストネームの画家、コローらに学び、やがては「印象派」の中心的な存在に。
全8回開催された「印象派展」に唯一、欠かさず参加し、生涯を通じて印象主義の絵画を探求した、「真の印象派」と言うべき人物。
印象派の最年長者でもあり、個性あふれるメンバーを忍耐強くまとめた「長老」的存在。
この展覧会のサブタイトルである“Patriarche de la modernite”のPatriarcheは、長老の意味であるが、ユダヤの族長という意味も表わす。
印象派の中でも、モネやシスレーと並び、風景画を得意とした。同時代のある批評家は、この3人を比べ、ピサロが「もっとも真実味にあふれて正直」であると評している。
郊外や都市の何気ない風景を、堅実な画面構成でとらえたピサロの作品からは、自然や人々の息づかいが感じられる。
《チュイルリー公園の午後、太陽》1900年 サントリー・コレクション
印象派の展覧会は1874 年に第1 回展が開催され、1886 年までの13 年間に断続的に合計8 回開催された。
が、毎回欠かさず出品しつづけ、辛抱強く印象派を支えつづけた画家は実はピサロただ一人のみ。
だからこそ彼は、印象派の立場を印象主義として次のように説明することができたのである。
「本物の印象主義とは、客観的観察の唯一純粋な理論となり得る。
それは、夢を、自由を、崇高さを、さらには芸術を偉大にするいっさいを失わず、人々を青白く呆然とさせ、安易に感傷に耽らせる誇張を持たない」と。
(1883年2月28日付子息リュシアン・ピサロ宛の手紙)
この言葉は、彼のカンヴァスの色と形に静かに結晶している。
カミーユ・ピサロ 《エルミタージュの眺め、グラット=コックの丘、ポントワーズ》1867年頃
アルプ美術館/ロー・コレクション
☆展覧会の見どころ
・日本で約30年振りの本格的なピサロ展
印象派の主要画家の一人であるピサロの作品は、日本でも多くの展覧会に出品されている。
しかし意外なことに大規模な回顧展の機会は少なく、1984年に東京、福岡、京都で開催されて以来、約30年振り、2度目の本格的なピサロ展。
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・「真の印象派」ピサロの魅力をあますところなく紹介
出品作品の中核を成すのは、国内外の著名な美術館等が所蔵するピサロ作品約90点。
初期から晩年までを網羅し、生涯を懸けて印象主義を探求した「真の印象派」ピサロの歩みを紹介。
・幅広い交友関係にも注目
ピサロの人柄と作品は、モネやルノワールといった印象派の仲間たちはもとより、多くの若い世代の画家たちをも惹きつけた。
セザンヌ、ゴーガン、ファン・ゴッホなど、名だたる天才たちが、ピサロを慕い、大きな影響を受けている。
これらピサロと交流のあった画家たちの作品も展示。
・現代へのメッセージ-ピサロを通じ「近代」を見つめ直す
ピサロが生きた19世紀は、絵画も社会も大きく変化し、「近代」の基礎が築かれた時代であった。
21世紀を迎え、「近代」に端を発する諸問題は、解決されるどころか、ますます混迷を深めている。
自然と人間を愛し描いたピサロの作品は、「近代」の原点を今一度見つめ、絵画はもとより人間や社会について感じ考えるきっかけともなるであろう。
ピサロは最初、コロー、クールベ、ドービニーなどの巨匠たちの作品に学び、やがて印象派の画風を確立した。
そして今度はそれをセザンヌやゴーガンなどの若い画家たちに分け与えつつ、自らも彼ら新進の画家達から多くものを吸収して行った。
また、晩年になるにつれ、もはや画風ではなく、精神的な部分で若い画家たちと考えを一つにするようにもなった。
今回の展覧会では、他の画家たちとピサロが何を分かち合っていたのか、という点が見どころの一つ。
このような切り口の展覧会は、斬新で興味深い。
章構成
カミーユ・ピサロの生涯に沿い、全5章構成。
Ⅰ 孤島からの漂流-パリへ 1852―1870年
カリブ海に浮かぶセント・トーマス島に生まれたピサロは、画家となるべく故郷の島を脱出し、ベネズエラの首都カラカスを経て芸術の都パリへ向かう。
コローやクールベら先達に学び、またモネら若い仲間と交流を深めつつ、画家としての道を歩み始めたピサロの初期作品を紹介。
出品点数:ピサロ12点、他作家5点
Ⅱ サロンから印象派へ 1870-1875年
サロン初入選作と見なされる≪農家の前のロバ、モンモラシー≫も展示。
この作品のサインは、PIZARROとユダヤ風の綴り。後にPissarroというサインに変えている。
1874年、ピサロはモネやルノワールらとともに、サロン(官展)の外に発表の場を求め、自主的なグループ展を立ちあげる。
ピサロは明るい光と空気に満たされた郊外の風景画を出品。
この第1回印象派展の前後、ピサロが仲間たちとともに追求した新しい絵画表現を紹介。
出品点数:ピサロ11点、他作家3点
《ポール=マルリーのセーヌ河、洗濯場》1872年
第4回印象派展(1879)オルセー美術館 RMN(Musee d’Orsay)/Thierry Le Mage
Ⅲ 印象派 風景から人物へ 1875-1883年
1870年代後半になると、ピサロは風景から人物へと主題の重心を移すようになる。油彩画の筆づかいはより多様さを増し、また版画作品でも様々な技法で光の表現が追求された。
印象派展を舞台に、ピサロが主題と画風の双方で表現を広げてゆく時期の作品を紹介。
出品点数:ピサロ18点、他作家1点
《ライ麦畑、グラット=コックの丘、ポントワーズ》1877年 静岡県立美術館
Ⅳ 新印象主義、あるいは「影」へのまなざし 1883-1896年
1880年代半ば、ピサロはスーラやシニャックらと点描技法に取り組むようになる。ピサロは彼らの新印象主義こそ印象主義の発展型と考えていたが、この考えは旧来の印象派の仲間たちとの亀裂を大きく広げる結果となった。
印象派展がついに幕を閉じた、転換期の作品群を紹介。
出品点数:ピサロ25点、他作家5点
《キューガーデンの大温室前》1892年 公益財団法人 吉野石膏美術振興財団
Ⅴ 印象主義の再生-「影」の反転 1896-1903年
やがて新印象主義の限界に気づいたピサロは、晩年にはふたたび自由な筆づかいの作風に戻る。
そして同じ景色を異なる光のもと描く連作という形式で、印象主義の探求を深めて行った。
ねばり強く印象主義を追求しつづけたピサロ晩年までの作品群を紹介。
出品点数:ピサロ23点、他作家3点
《昼寝、エラニー》1899 年 個人蔵
新説!
労働や搾取に対するピサロの考えが、実はひそかに作品にもあらわれていた!?
農婦を描いたこちらの作品。
貧しい農民が黙々と働く(あるいは働かされる)といったイメージは、かけらも見あたらない。
むしろなんとも心地よさそうに、仕事をサボっているのだ。
図録には、宇都宮美術館有木宏二学芸員が、「カミーユ・ピサロ 影へのまなざし」というテーマでわかりやすく解説しており、さらに興味を増す。
絵の解説だけではなく、数々の日本の芸術家のエピソードを織り込み、大変面白い。
年表では、ピサロの生涯がわかりやすく述べられているので、彼の生き方を再考するのに役立つ。
なお、パリ郊外のポントワーズには彼の名を冠した美術館が建てられている。
クリストフ・デュヴィヴィエ ポントワーズ美術館館長の解説は、印象派から新印象派への移ろいを論理的にうまく述べている。
カミーユ・ピサロ、ポントワーズにて、1875年頃
小さなお子様にも親しみを持ってもらえるようイラスト入り解説が、美術館館階段の踊り場に展示されている。
ピサロじいさんが、子供たちにやさしく語りかける。
大人が読んでも充分楽しめる。
筆者が子供のころにこんな解説があればもっと美術に親しみを持てたのに・・・
と今の子供たちがちょっぴり羨ましくなった。
このポントワーズ美術館だけでなく、パリのオルセー美術館やプティ・パレなど多くの美術館からの協力を得た展覧会である。
兵庫県立美術館のみの展示作品あり。
徹頭徹尾、印象派。のカミーユ・ピサロ
徹頭徹尾、おすすめ。
ピサロの絵は、画面の作り方がしっかりとした構図で成り立っている。
派手さはあまりないが、探求熱心でさまざまな試みを成した人物である。
フランスでは、大変有名で、彼の業績は尊敬されている。日本ではあまり知られていないと聞いたが、筆者にはそれが驚きでさえある。
宇都宮美術館でこの展覧会が始まった時から大変楽しみにしていたくらいだ。
記者会見の際、日本でピサロがあまり知られていない理由を質問されたクリストフ・デュヴィヴィエ ポントワーズ美術館館長は、どう答えていいか困惑していた。
なぜなら、フランスでピサロを知らないなんてありえないくらい有名だからだ。
オルセー美術館が、昨年リニューアルされたが、最上階にある印象派の作品を展示した一番大きな部屋にかなりのスペースを割き、ピサロの作品が展示されている。
これは、改装前も同じであった。
フランス国家が、ピサロをリスペクトしているという何よりの証だ。
美術ファンでピサロを知らないのは、失礼ながら「もぐり」といえよう。
それだけ、この展覧会は見逃せないのだ。
彼の絵画の作り方が緻密で複雑なため、一言では表わされない。
それが故に日本ではあまり知られていなかったのではないか。
また、画像で見るより実際の絵の方がそこに流れる空気感や風が全然違う画家も珍しい。と、江上 ゆか 兵庫県立美術館学芸員は分析する。
難しい絵画理論はわからなくとも、ピサロの絵からは安らぎを覚える。
静謐な彼の絵を見てリラックスできること間違いなし。
また、音声ガイドは、表示されていないこともわかりやすく解説されているのでご使用をおすすめする。
ぜひ、お見逃しなく。
《ロワイヤル橋とフロール館、曇 り》1903年 プティ・パレ美術館
平成24年6月6日(水)~8月19日(日)
休館日:月曜日 ただし7月16日(月・祝)は開館し翌17日(火)休館
開館時間:10:00-18:00(金・土曜日は-20:00)、入場は閉館30分前まで
会 場:兵庫県立美術館3階 企画展示室
主 催 兵庫県立美術館、産経新聞社、神戸新聞社
後 援 フランス大使館、公益財団法人伊藤文化財団、兵庫県、兵庫県教育委員会、
神戸市、神戸市教育委員会、関西テレビ放送、サンケイスポーツ、夕刊フジ、
サンケイリビング新聞社、サンテレビジョン、FM802、ラジオ大阪、
ラジオ関西、Kiss FM KOBE
特別協賛 大阪芸術大学グループ
協 賛 大和ハウス工業株式会社
企画協力 (有)アルティス
協 力 エールフランス航空、ホテルオークラ神戸
備 考 本展は、政府による美術品補償制度の適用を受けている。
観覧料 一般1300(1100)円、大学生900(700)円、高校生・65歳以上650(550)円、
中学生以下無料
※( )内は20名以上の団体割引料金
※障害のある方とその介護の方(1名)は各当日料金の半額(65歳以上除く)
※割引を受けられる方は、証明できるものをご持参のうえ、会期中美術館窓口で入場券をお買い求めのこと。
※コレクション展の観覧には別途観覧料金が必要(本展とあわせて観覧される場合は割引あり)
□特別展「バーン=ジョーンズ展」(9月1日~10月14日)とのお得な共通チケットを館窓口にて販売
関連事業
(1)記念講演会
■有木宏二(宇都宮美術館学芸員・本展監修者)
6月24日(日)14:00-15:30 ミュージアムホール(定員250名)
先着順 聴講無料(要観覧券)
ユダヤ人のヨーロッパ化などに詳しく、この展覧会の監修者なので、興味深い講演になりそう。 ぜひ参加しよう。
■中野京子(作家・ドイツ文学者。早稲田大学講師。
著書に『怖い絵』『名画の謎』『印象派で「近代」を読む』など)
7月22日(日)14:00-15:30 ミュージアムホール(定員250名)
当日12時より整理券配布予定 聴講無料(要観覧券)
(2)学芸員による解説会
6月23日(土)「実録!?印象派人間模様」
7月14日(土)「ポントワーズ百景」
7月28日(土)「印象派と絵画の革新」
8月11日(土)「ピサロ晩年の大連作」
16:00―17:00 レクチャールーム(定員100名)先着順 聴講無料
(3)ミュージアム・ボランティアによる解説会
会期中の毎週日曜日 11:00―11:15
レクチャールーム(定員100名)先着順 聴講無料
(4)おやこ解説会
7月7日(土)
13:30―14:00 レクチャールーム(定員100名)先着順 聴講無料
(5)こどものイベント「空を描こう!光を描こう!」
8月4日(土)、8月5日(日)※両日とも同内容。
10:30―12:30 アトリエ2にて 小学3年~中学3年対象 定員30名
要事前申込・参加費 こどものイベント係TEL 078-262-0908
(6)ピサロ182歳のバースデー!!
7月10日(火)ピサロの誕生日、先着500名様にプレゼントあり。
詳しくは兵庫県立美術館HPにて。
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1206/index.html
☆読者プレゼント
10組20名様にご招待券 プレゼント
あて先 : loewy@jg8.so-net.ne.jp に
件名:展覧会名と会場名
本文:ご住所、お名前
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発送をもって当選と代えさせていただきます。
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