SSブログ
SSブログ

生誕150年記念 竹内栖鳳展 [美術館  ARTNEWS アートニューズ]



生誕150年記念



竹内栖鳳展



近代日本画の巨匠 竹内栖鳳

 幻の油絵 113年ぶり公開

 

 

113年ぶりの公開となる油彩作品「スエズ景色」などをはじめ、名品・初公開作品や貴重な資料など約130点を展示。

 

近代京都画壇をリードした日本画の巨匠、竹内栖鳳(せいほう)(1864~1942年)。

その生誕150年記念回顧展が姫路市立美術館で開かれている。

 

東京国立近代美術館や京都市美術館で開催された竹内栖鳳展は以下で記しているので参照されたし。

 

http://artnews.blog.so-net.ne.jp/2013-09-30-1

http://artnews.blog.so-net.ne.jp/2013-11-25

 

これらの展覧会は、連日大入り満員で特に東京国立近代美術館では入場するのにかなり待たないといけないくらいであった。

栖鳳の人気ぶりが伺えるエピソードだ。

 

また、竹内栖鳳については以下で紹介しているので参照されたし。

http://artnews.blog.so-net.ne.jp/2013-09-26-2

http://artnews.blog.so-net.ne.jp/2014-05-03

http://artnews.blog.so-net.ne.jp/2015-04-05

 

 

 

さて、姫路市立美術館で開催中の竹内栖鳳展は、上記の展覧会とは全く違う展覧会だ。

1900年のパリ万博視察で渡欧した栖鳳と西洋美術の関係にも焦点を当てた斬新な企画の展覧会だ。

何といってもこの展覧会の目玉は、栖鳳、唯一の本格的な油彩画で、長年所在不明だった幻の作品「スエズ景色」の113年ぶりの公開だ。

しかも、その所在は、去年(2014年)の夏、明らかにされたばかりだ。

「スエズ景色」は、中東の砂漠や水辺を描いた風景画で、万博視察から帰国した1901年(明治34)11月に完成され、洋画団体・関西美術会の第1回展へ出品された。

 

この作品は、精緻でありながら、すっきりと描かれ、油絵のバタ臭さがなく、むしろ静謐さを感じさせる。日本画と西洋画を融合させようとした栖鳳の意気込みが感じられる。

栖鳳は万博視察旅行で、「蘇士(スエズ)の運河に入りて駱駝(らくだ)の遊べるを見る」などと記した絵はがきを家族へ送っているようにスエズ運河を目にしている。

彼自身の旧蔵の写真に、この絵と構図が酷似する1枚があることだ。欧州で大量に収集した資料の一部とみられ、写真右下にはフランス語で「ナイル川とピラミッド」と記されている。

 

幻の油絵「スエズ景色」一時は神戸の「二楽荘」に?

 

かつて神戸・六甲山の中腹にあった浄土真宗本願寺派第22世宗主大谷光瑞(こうずい)(1876~1948年)の別荘「二楽荘(にらくそう)」に一時飾られていた可能性が高いことが20151月14日に分かったのだ。

これは、神戸新聞のすばらしいスクープだ。

以下、『』は新聞記事を抜粋し、加筆。

『甲南大学 今野智子図書館司書が、龍谷大龍谷ミュージアム(京都市下京区)で開催中の特別展「二楽荘と大谷探検隊」(神戸新聞社主催、30日まで)を鑑賞した際、二楽荘内のインド室を撮った写真絵はがきに、「スエズ景色」とよく似た絵が写っているのを発見、指摘したのだ。

 

同ミュージアムの和田秀寿学芸員によると、絵はがきの中の絵と「スエズ景色」は、署名らしきものの位置も一致。絵はがきは、1912~13年の制作で、油絵はこの時期邸内にあったとみられる。

 

  和田学芸員は「栖鳳の重要な絵画の所在の空白期を埋める貴重な発見」と話し、「光瑞は当時の仏教界のリーダーで、京都画壇の巨匠とのつながりが具体的に分かれば興味深い」としている。
 二楽荘は09年に完成。仏教の伝播(でんぱ)ルート解明のため、光瑞が組織した調査団「大谷探検隊」が西域から持ち帰った貴重な収集品を整理公開していたが、32年に焼失した。』

 

筆者は、龍谷ミュージアムで行われた秋季特別展「二楽荘と大谷探検隊」

については、以下で記しているので参照されたし。

http://artnews.blog.so-net.ne.jp/2014-11-26

 

筆者は全く気付かなかった。情けない限りだ。

今野智子図書館司書の素晴らしさには脱帽だ。栖鳳研究に大きく貢献した発見だ。

ショックを受け、自分の目で確かめるべく、210日、龍谷ミュージアムに取材しに向かった。

その展覧会の図録には確かに「スエズ景色」が写り込んでいた。

二楽荘浦撮影小.jpg 

「二楽荘と大谷探検隊」図録 浦典子撮影

 

 「スエズ景色」は、昭和初めごろには滋賀・長浜の実業家が所有していたが、長く行方不明となっていたという。

今から約3年前、広島県の「海の見える杜(もり)美術館」が京都市の画商から入手し、12月14日まで同館で開催の「竹内栖鳳」展で公開され、今は、姫路市立美術館で展示されている。

西洋画の技法を巧みに取り入れ、日本画の革新にも力を尽くした栖鳳の功績は大きい。また、その証拠ともいえる「スエズ景色」は、美術界の生き証人として語り継がれるであろう。

 

渡欧は栖鳳には転機となる貴重な体験であった。

これを境に、雅号を「棲鳳(せいほう)」から「栖鳳」に改めたのも西洋への思いからであろう。

 

  栖鳳は、約7カ月の視察旅行で、英国やフランス、ドイツ、イタリアなどを訪問。美術館や寺院で名画の数々を見て回り、動物園でライオンを写生した。

パリでは画家ジャンレオン・ジェロームらと会い、ドイツの美術学校で裸体デッサンの様子を見学するなど、西洋美術の研究に努めた。

 

また、栖鳳は英国の巨匠ターナーやフランスのコローらの作品から影響を受けたとされる。

 

「アレ夕立に」の本絵を筆者は、京都髙島屋、大阪髙島屋、東京国立近代美術館や京都市美術館とラッキーにも4度も拝見することができた。

この展覧会では、下絵だが充分にその美しさを堪能できる。

歴史上、新発見でかつ初公開の大変貴重な展覧会。お見逃しなく。

 

会期

2015(平成27)年27日(土)~329日(日)

  前期:27日(土)~31日(日)

  後期:33日(火)~29日(日)

 

•休館日 月曜日

 

•開館時間 

午前10時~午後5時(入場は午後430分まで)

 

•観覧料 

一般 1100900)円、大学・高校生 600400)円、中学・小学生 200100)円

※( )内は20人以上の団体料金

 

•会場  姫路市立美術館
企画展示室

•主催  姫路市立美術館/神戸新聞社

•後援  サンテレビジョン/ラジオ関西

•協賛  野崎印刷紙業

 

 

☆読者プレゼント 

 

   510名様にご招待券 プレゼント

 

   あて先 :  loewy@jg8.so-net.ne.jp

 

   件名:展覧会名と会場名

 

   本文:ご住所、お名前

 

   をお書きの上どしどしご応募下さい。

 

       締切:http://www.art-news.jp/

       にてUPした日の午前零時

 

   発送をもって当選と代えさせていただきます。

 

 

 

 ※画像および記事の無断転載禁止

 

☆巡回予定

碧南市藤井達吉現代美術館 2015414()67日(日)












nice!(3)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 3

コメント 2

鈴木紳吾

都内の美術団体に所属して毎年国立新美術館での展覧会に参加している者です。

狩野内膳「南蛮屏風」を基にして来春の絵に着手したところですが、登場人物の何人かが手にしている「タオル」様のものが何なのか気になりまして。 タオル業者さんなどに問い合わせたところ現在のようなタオルが世に出るのは「南蛮屏風」の遥か後の時代と言うことで不明のままでした。 先般、神戸市博物館から2012年5月25日付の此方の記事「南蛮美術の光と影」をご紹介頂いて「成程そういうことだったのか」と納得がいきました。 (しかし、当時、現地ではあれほど長大な「ハンカチ」をどんな場面で使っていたんでしょう?)
by 鈴木紳吾 (2015-03-31 12:10) 

浦 典子 NORIKO URA

神戸市博物館さんから、私の記事を鈴木様にご紹介していただけたなんて、大変光栄です。
コメントをいただき、ありがとうございます。 
 さて、私が、リスボンの国立美術館の学芸員にインタビューした時、私は夏は世界中どこでも暑いだろうとしか思っていなかったので、言われて初めて驚きました。ポルトガル人だから、気づくことが違うと思いました。違う立場の人の意見は聞いた方がいいですね。それから、私は約2か月ほど欧州で夏を過ごしましたが、私は全然汗をかいていないのに、現地の人は汗だくで辛そうでした。
日本の暑い夏に慣れている我々と彼らでは体感温度が違うと思います。
特に湿度が高いと同じ温度でも感じ方が違いますね。スポーツ選手はまず、現地の気温や天候に勝てないと、いい記録は出ないといいますね。
当時、ハンカチを持つことは男女問わず、エチケットやステータスだったと思いますが、当時の日本人より日本の暑さに慣れておらず汗かきだったので、大判のハンカチが必要だったのではないかと考えます。または、日本の手拭いを真似て作ったのかもしれませんね。また、欧州に行って感じることですが、太陽への感謝が日本人以上に強いと思います。逆に言えば我々は陽がさすのは当たり前だと思っているフシがありますね。太陽がさんさんと降り注ぐ、南国イコール異国、そこに異国趣味の屏風というイメージが好まれたのかもしれません。
絵画を描くモチーフとして異国がテーマだったのかも。実際を写実しているということもあるかもしれませんが、誇張して描いたのかもしれません。異人さんの指示や教えに従ったのかもしれませんね。
フランス人の美術館の学芸員に、「日本とフランスは季節が逆ですか。」と聞かれたことがあります。欧州の人からは世界の反対側にある国からようこそとよく言われます。
つたない解説ですが、お役に立てば幸いです。私でできますことは精いっぱいさせていただきます。

回答が遅くなることもございますが、いつでもご質問下さいませ。素晴らしい作品をお創りになることを心から願っております。
by 浦 典子 NORIKO URA (2015-04-14 18:54) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。