SSブログ
SSブログ

特別展「マリー・ローランサンとその時代 ― 巴里パリに魅せられた画家たち」 [美術館  ARTNEWS アートニューズ]

特別展「マリー・ローランサンとその時代

― 巴里(パリ)に魅せられた画家たち

同時開催/小磯良平作品選Ⅰ―油彩―

 

 

 001-27_扇をもつ若い女.jpg

  マリー・ローランサン「扇をもつ若い女」

     1950年頃 油彩 55.0×46.0cm

      マリー・ローランサン美術館蔵

 

神戸市立小磯記念美術館で、特別展「マリー・ローランサンとその時代 - 巴里に魅せられた画家たち」が好評開催中である。

華やかさの陰に憂いを込めた女性像が広く知られ人気を博している、女流画家マリー・ローランサン(18831956)を中心に、芸術の都・パリに魅せられたフランスおよび日本の画家たちの作品や資料、計116点を展示している。

日本人が好む画家と言われているマリー・ローランサン。

この展覧会は、全国美術館会議の小規模館研究部会の学芸員有志による共同企画により実現したもの。

各地の個性豊かな美術館から日仏作家たちの優れた作品群を一堂に集めた展覧会は貴重。

世界最大のローランサンのコレクションを持つことで知られていたマリー・ローランサン美術館(平成23年9月閉館)の油彩、版画、資料などの計49点を軸に、ローランサンと同じくパリに生まれたルオーやユトリロ、ドラン、ヴラマンク、各国から集まりパリの画家となったキスリングやドンゲン、藤田嗣治、荻須高徳、さらにパリに客死した佐伯祐三やパリに憧れて留学した児島虎次郎、小磯良平らの作品群、そして当時のパリを席巻していたバレエ・リュス(ロシア舞踊)資料などが展示され、見ごたえある構成の展覧会に仕上がっている。

 

 

001-29_三人の若い女○.JPG 

         マリー・ローランサン「三人の若い女」

            1953年頃 油彩 97.3×131.0cm

            マリー・ローランサン美術館蔵

 

☆マリー・ローランサンとは

1883年、(1885年説もあり)母ポリーヌが未婚でマリー・ローランサンを出産。

父はソム県ペロンヌの代議士だが認知されていない。

1904年、画塾アカデミー・アンベールに入り本格的に絵画の勉強をし、

そこでジョルジュ・ブラックと出会い、キュビズムに目覚める。

1906年、ブラックの紹介でモンマルトルの集合アトリエ「洗濯船」の常連となり、

「洗濯船のミューズ(女神)」と言われるようになり、男性たちをとりこにする。

ピカソやマチス、ルソー、マックス・ヤコブらと出会う。

最初の恋人、小説家アンリ・ホエール・ロシェはマリーの絵を画商に売り込み、

売れなければ自分が購入していた。

1907年、22歳の時、ピカソの紹介で詩人ギョーム・アポリネールと恋に落ちる。

ちなみに"シュルレアリスム"という語はアポリエールの作品から生まれた言葉である。

アポリエールはマリーに詩的霊感を与え、また多くの人を紹介し画壇のプリンセスへと

押し上げていった。

アポリネールがルーブル美術館で起きた「モナ・リザ」盗難事件の共犯容疑で

逮捕される。

疑いは晴れたが、その後アポリネールの浮気やマリーへの束縛から、結局1912年に

二人は別れる。

その後もアポリネールはローランサンを忘れられず、その想いを歌った詩が

彼の代表作『ミラボー橋』であるという。

1912年、最初の個展は評判となり、その後、次第にキュビスムから脱し、

エコール・ド・パリの新進画家として知られるようになった。

1913年、母・ポリーヌ死去。アポリネールとの亀裂、母の死と孤独に

さいなまれている中、ドイツ名門貴族で画家のオットー・クリスティアン・フォン・

ヴェッチェンと出会う。

1914年、ヴェッチェンと結婚したが、第一次世界大戦勃発。

結婚によりドイツ国籍となったため、スペインへ亡命を余儀なくされた。

その後5年間はスペイン政府にスパイ容疑をかけられ、その監視下におかれながらの

亡命生活。

この夫も粗野で浮気者。結婚生活は実質三ヶ月ほど。

マリーは次第に神経が衰弱していく。

ピカソが、「スペインに行ってから才能が衰えた」と吹聴しているというのを耳にし、

マリーは一層傷つく。

パリに住む人気デザイナー・ポール・ポワレの妹・ニコル・グレーが失意の慰めであった。

この交流がマリーに同性愛を目覚めさせた。

かつての恋人、アポリネールが戦地で負傷し危篤の知らせ。酒に溺れ働かず財産を食い

潰す夫、ローランサンは絵を売って生活費にあてるが、経済的に行き詰っていく。

ニコルも戦争から夫が戻ると子供をもうけ、ローランサンを拒むようになる。パリに

戻りたいという想いが高まり、1921年フランス永住許可を得てパリへ。

パリに戻ったローランサンは、個展も成功させ再び画壇に返り咲く。

パステルカラーの簡潔で華やかな、夢見るような少女像という独特の画風を作り上げ、

フランス史上狂乱の時代(Les Années Folles)と称された1920年代にあって、

時代を体現した売れっ子画家となった。

1922年ヴェッチェンと離婚。1923年に肖像画を描き始める。

作品も憂いがなくなり華やかさを増し、マリーに肖像画を描いてもらうことが社交界

で流行する。

ココ・シャネルの肖像画もローランサンが描いている。

だが、シャネルは気に入らず受け取りを拒否している。

 ちなみにその絵は、ンジェリー美術館に展示されている。

また、舞台装置や舞台衣装のデザインでも成功する。

 ジャン・コクトー台本の「牡鹿」舞台装置と衣装をも担当。

 フランシス・プーランクのバレエ『牝鹿』や、オペラ=コミック座の

 『娘たちは何を夢みる』、コメディ・フランセーズ、シャンゼリゼ劇場で上演された

 ローランド・プティのバレエなどもローランサンの仕事だ。

 画壇の中心として華やいだ時間が過ぎる。

 しかし、次第にマリーの絵も時代遅れとみなされる時が来て、

 忘れ去られるようになって来る。

 老いから女の魅力も失われてくる。

 家政婦でかつ愛人であった21歳年下のシュザンヌ・モローは嫉妬心からマリーを束縛。

 友人や他の愛人をマリーから遠ざけさせた。

 1954年には彼女を養女にむかえる。

 1956年、72歳の時に心臓発作で死去。

 

 ローランサン作品を常時展示していたマリー・ローランサン美術館(長野県)の閉館後、その作品群をまとまって見る機会は今や貴重なものになってしまった。

この機会をお見逃しなく。

 

モンテスパンとラヴァリエール.jpg 

            マリー・ローランサン

      「モンテスパンとラヴァリエール」

        1952年頃 油彩 55.0×46.5cm

        マリー・ローランサン美術館蔵

 

出展作家:マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、ジョルジュ・ルオー、モーリス・ド・ヴラマンク、アンドレ・ドラン、モイズ・キスリング、キーズ・ヴァン・ドンゲン、シュザンヌ・ヴァラドン、藤田嗣治、佐伯祐三、小磯良平、荻須高徳、児島虎次郎、三岸節子、古家新、徳永仁臣、佐分眞

 

◆会場、会期等◆

会場:神戸市立小磯記念美術館  展示室23 

会期:平成2414日()~日(

休館日:月曜日

開館時間:午前10時~午後5時(金曜日は6時まで

     入館は閉館の30分前まで

入館料:大人800円(600円)、高校・大学生600円(400円)、

    小・中学生 400円(200円) 

※( )内は団体30名以上 神戸市老人福祉手帳(すこやかカード)持参の方は、400 

のびのびパスポート持参の方無料

主催:神戸市立小磯記念美術館、神戸新聞社

共催:マリー・ローランサン美術館、高梁市成羽美術館、一宮市三岸節子記念美術館、ニューオータニ美術館

 

後援:全国美術館会議、フランス大使館、NHK神戸放送局、神戸新交通株式会社、サンテレビジョン、ラジオ関西

協力:ヤマトロジスティクス(株)

 

◆会期中のイベント◆

特別展解説会/毎週日曜日 午後2時~(30)当館2F絵画学習室 当館学芸員による。

【各イベントについての詳細は美術館にお問合せのこと。】

 

☆読者プレゼント 

   1020名様にご招待券 プレゼント

   あて先 :  loewy@jg8.so-net.ne.jp

   件名:展覧会名と会場名

   本文:ご住所、お名前

   をお書きの上どしどしご応募下さい。

   発送をもって当選と代えさせていただきます。

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。