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夏季収蔵品展「美を愛でる、京を愉しむ」 [美術館  ARTNEWS アートニューズ]

夏季収蔵品展「美を愛でる、京を愉しむ」

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                       菊文蒔絵十種香箱

 

 最も古都、京都らしい美術館、細見美術館。

前回、酒井抱一と江戸琳派の全貌展で25,000人以上の入場者を記録した。

http://artnews.blog.so-net.ne.jp/2012-05-06

また、その他にも筆者は細見美術館を紹介している。

http://artnews.blog.so-net.ne.jp/2012-03-17-1

http://artnews.blog.so-net.ne.jp/2010-09-11

現在は、そごう美術館で「京都 細見美術館展 PartⅡ 琳派・若冲と雅の世界」が開催中など、その膨大なコレクションには、目を見張るものがある。

https://www2.sogo-gogo.com/common/museum/archives/12/0526_hosomipart2/index.html

今、 細見美術館で開催されている展覧会は、そごう美術館で行われた「京都 細見美術館展 Part で展示されたものに独自のアレンジを加えたもので京都に的を絞った展覧会である。

 平安時代以来、長きにわたり日本文化の中心であった京都。

そこは人々の憧れの地であり、美の都でもあった。

貴族社会で磨かれた雅びの文化、富裕な町衆の洗練された美意識、歴史を重ねた名所、季節のうつろいに彩られた風光、そして華やかな祭礼など、都のすべてが多彩な芸術の源泉となり、優れた作品を生み出して来たのである。

                       

この展覧会では、細見コレクションの中から都の面影を今に伝える作品を採り上げている。

「京の四季-遊びとかざり-」

「京の絵師-若冲から雪佳まで-」

「王朝のみやび-和歌と物語-」

の3つの章を通して、美的都市・京都にまつわる多彩な美術工芸品の魅力をたっぷり堪能できる。

中でも特筆すべきは神坂雪佳(かみさか せっか)の作品群であろう。

雪佳の版画集『百々世草』の「八ツ橋」は、フランスのラクシャリーブランドでバーキンバッグなどでおなじみのエルメスの雑誌、「THE WORLD OF HERMES2001 VolumeⅠの表紙に取り上げられた。

雪佳八ッ橋 (800x600).jpg

エルメスの雑誌は、季節ごとに発行され、デザイン的にもかなり優れているので、筆者もパリに行った時には、フランス語版と英語版を読んでいる。

もちろん、日本語版も発行されている。

商品の掲載のみならず、エルメスが持つ藤田嗣治の絵画コレクションなどが特集されていたり、旅行記事が書かれていたりとなかなかクオリティが高い。

また、筆者の研究課題であるレイモンド・ローウィの著書「INDUSTRIAL DESIGN」を書棚に配置したりして、編集者のこだわりを感じる雑誌である。

そのような感度の良い雑誌に日本の神坂雪佳の「百々世草」より「狗児」などが数点中ページにも掲載されている。

雪佳狗 (800x600).jpg

もちろん、これらの神坂雪佳の作品が、この展覧会で展示されているので、ぜひ見ていただきたい。

 神坂雪佳は、 16歳で四条派の日本画家・鈴木瑞彦に師事して絵画を学び、装飾芸術への関心を高めたのち、図案家・岸光景に師事し、工芸意匠図案を学ぶ。

また、琳派の研究をも始める。

1901年(明治34年)には、イギリスのグラスゴーで開催されたグラスゴー国際博覧会 (Glasgow International Exhibition) の視察を目的とし、世界各地の図案の調査を兼ねて渡欧。

琳派に傾倒し、デフォルメ、クローズアップ、トリミングを用いた大胆な構図や「たらしこみ」の技法など、琳派の影響を受けながらもモダンで明快な作風を確立し、デザイナーとしての作面も持つ。

神坂雪佳は、まだあまり日本では知られていないが、海外では、高く評価されているのに驚く。

オーストラリアのシドニーのニューサウスウェールズ州立美術館で

会期:2012622日~826日 

前期 ~722/後期725日~826

「神坂雪佳:近代日本の美術・デザインの巨匠」

Kamisaka Sekka dawn of modern Japanese design

という展覧会開催中で、細見美術館ほか、日本から多数出品されている。

その展示作品数は、約100点もある特別展である。

 http://www.artgallery.nsw.gov.au

なぜ、オーストラリアでアート?と思うかたも多いと思われるが、その芸術に対する理解には歴史がある。

例えば、19世紀フランス印象派時代、唯一参加していたオーストラリア人 ジョン・ピーター・ラッセルJohn Peter Russellという芸術家がいる。

比較的裕福だったラッセルは、印象派やポスト印象派のアーティストを支援している。

その交友関係からロダンは、ラッセルの妻の頭像Madame Russell 1888を制作し、それはパリのロダン美術館2階とブリスベーンのクイーンズランド現代美術館The Queensland Art Gallery  Gallery of Modern Art – GoMA, South Bank, Brisbaneに所蔵されている。

1992_137_001Madame Russell 1888.jpg

筆者がこの両方を現地に赴き発見した時、大変感動したのを鮮明に覚えている。

酒井抱一が多くの人に評価された今、これからは、神坂雪佳が脚光を浴びるであろう。

神坂雪佳の「狗児」は、細見美術館のミュージーアムショップで食器になって「いる」。

大変愛らしく、箸置きは、筆者に連れて帰って!と訴えているようであった。

狗売物 (800x600).jpg

作品解説

1章 京の四季遊びとかざり

賀茂社競馬図屏風  紙本金地著色 江戸前期

 

 賀茂社競馬図屏風_左 (800x487).jpg

  上賀茂神社で五月五日に行われる競馬の神事は、月次風俗図や洛中洛外図に多く取り上げられる祭礼として知られる。

江戸前期にはその場面を独立させ、祇園祭との組み合わせや、単独の画題として大きく扱う作品が登場するようになる。

 本図では人も馬も入り乱れ、混乱のうちにも盛況な様子をよく伝える。全ての人物が古様に描かれていることから、古画の影響が指摘できる。

北野社頭図屏風 紙本金地著色 江戸前期

 

北野社頭図屏風全図 (800x261).jpg 

 北野社の境内では紅白の梅や桜が咲き揃い、花見の宴がたけなわな様子。

鳥居の前には野点のだての出店も賑わっている。蹴鞠や流鏑馬やぶさめに興じる若者たち、女性に声をかける者、袖を引く者。花の香りに誘われて、めかしこんで参詣に臨んだ彼らにとって、北野の境内は心ときめく社交場であった。

 北野社は秀吉の大茶会、秀頼による大改修により、江戸初期には京都の一大名所となっていた。本図はもともと「祇園社・四条河原図屏風」と対を成していた作品。

2章 京の絵師若冲から雪佳まで

伊藤若冲 伏見人形図 紙本著色 江戸中期

 伊藤若冲(1716~1800)は京都・錦小路の青物問屋主人であった。

この泥絵具や胡粉で彩色された素朴な味わいをもつ伏見人形は、伏見稲荷の土産である。京都深草の石峰寺の門前に居していた若冲は、晩年、伏見人形や鶏の絵を多く製作していた。

紅雲母を引いた顔面には、極めて細い線で無心に笑う布袋の顔が描かれている。

明るくあたたかい童画的な雰囲気が漂い、見る者の心を和ませる。

この伏見人形をモチーフにした陶人形(京都五条坂・六兵衛製)は、細見美術館のミュージーアムショップに。

手に取ってその可愛さを体験してみては?

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伊藤若冲【いとうじゃくちゅう】

正徳六寛政十二年(1716~1800)

京都高倉錦小路の青物問屋桝源の長男に生まれる。

若冲の名は、老子「大盈若冲、其用不窮」(たいえいはむなしきがごときも、そのようはきわまらず)による。

他に、景和、汝釣、斗米庵、心遠館などと号す。数え二十三歳の時、父の死去に伴い家督を相続、四代目桝屋源左衛門となる。

商売には熱心ではなく、趣味の絵画制作が次第に本格化した。四十歳を機に家督を弟に譲り、以降独創性に溢れる絵画世界の展開に没頭する。

天明八(1788)年の京都大火で痛手を被ったが、晩年は深草の黄檗寺院、石峯寺の門前に隠棲し、制作三昧の日々を過ごした。

若冲は相国寺大典顕常に厚い知遇を得るほか、禅僧や黄檗僧らと交流があり、寺院に寄進した作品や僧の着賛のある作品が多い。

代表作に「動植綵絵」(三十三幅、相国寺へ寄進、現在は宮内庁三の丸尚蔵館蔵)、鹿苑寺大書院障壁画、大阪・西福寺襖絵などがある。

  

伏見人形図 賛紙本著色 江戸中期

 伊藤若冲筆_伏見人形図 (241x800).jpg

赤肉專    上横眼画眉蹙顔老宿好是

為雖當時被他発一問枚下袋子便之

至今猶駝不起只有一專   扇相随横

皷白番    腹只今摩訶擬蹶踟名来恰以

泥佛奈渉水時正好為佛是奈度火

時恁麼道得着早見真布袋沛性       傍在童子暗黙歌

攝衣慇懃着座

夜昇兜率安禅打睡昼下閻浮嬉哉

説伊天明二壬寅秋八月日

      淡海僧葦庵題於洛之黄葉臺

円山応挙 若竹に小禽図 絹本著色 寛政7年(1795)

 丸山応挙_若竹に小禽図 (267x800).jpg

十八世紀中期の京都で、若冲より若年ながら目覚ましい活躍で絵画界を一新したのが円山応挙(1733~95)である。

彼の写生に基づいた実感に富む描写は、当時の博物学などの隆盛とも呼応し、従来の狩野派の画風に飽き足らない人々に強く支持されて絶大な人気を得た。

相思鳥を描くこの一図にも、彼の鋭い視線が的確に注がれている、年紀によれば、寛政七年(1795)、六十三歳の三月に描かれたもので、亡くなる年の作とされる。 

円山応挙【まるやまおうきょ】(享保十八寛政七年/1733~95)

 江戸中期に名を馳せ、「写生の祖」とされる画家。

円山四条派として大きな一派を成したその画風は、平明で分かりやすい写生画が軸となる。

丹波国穴太村出身。十五歳の頃京都へ出て、狩野派の流れをくむ石田幽汀に絵を学ぶ。

その後、のぞきからくりの眼鏡絵を手掛け、西洋の透視遠近法や陰影法にも接した。また、中国の写生画よりその克明な写生を取り入れようと試みた。

写実性と伝統的な装飾性とを巧みに融和させた画風は上方画壇を中心に浸透し、明治時代にまで影響を及ぼした。

神坂雪佳 色紙貼付屏風 絹本著色 大正時代

 近年、十二面の色紙を六曲一双屏風に仕立てたもの。

「白梅に春屋」や「八ツ橋」など、晩年の雪佳が隠棲した嵯峨野をイメージさせる図のほか、「蕨に菫」など、見る人をほっとさせるような落着きと品格をもつ図で構成される。移ろう季節に目を向けた雪佳らしい詩情あふれる作品である。

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神坂雪佳【かみさかせっか】慶応二昭和十七(1866~1942)

 京都御所警護の武士、神坂吉重の長男として京都に生まれる。

はじめ四条派の画法を習うが、岸光景のもとで工芸図案を学ぶようになる。

図案家として欧州視察などを経験、琳派に関心を抱き「光琳の再来」と呼ばれる作風を築いた。

絵画のみならず、染織、陶芸、漆芸から室内装飾や造園まで幅広い活動を展開、皇室関係の図案制作も多く行った。

光悦の功績を顕彰する「光悦会」の発起人に名を連ね、光悦や光琳に関する論文を発表するなど、琳派様式の普及に努めた。近年、海外でも注目を集めている。

3章 王朝のみやび和歌と物語

時代不同歌合絵巻断簡 

伝藤原為家  紙本墨画  鎌倉時代

 時代不同歌合絵巻 (800x442).jpg

 時代の異なる歌人を左右に組み合わせ、歌合形式にした絵巻の一部。

有名歌人と名歌を仮想の歌合で楽しむ趣向である。

鎌倉後期から、墨だけで描く「白描はくびょう」による絵巻が流行し、本絵巻はその早い作例。

この場面は向かって右(文字の表記と逆)が赤染衛門(平安中期)、左が殷冨門院大輔(平安後期)で、女流歌人同士の夢の対決。もとの絵巻は五十組の歌人が各三首ずつを掲げ、かなり長大な画巻であった。

百四十五番

   左  赤染衛門

 神なつきありあけの月のしくるゝを

 またわれならぬ人やミるらん

   右  殷富門院大輔

 はなもまたわかれんはるを思いてよ

 さきちるたひの心つくしを

百四十六番

   左

 つねよりもまたぬれそひしたもとかな

 むかしをかけてをちしなミたに

   右

 いまはとてみさらん秋の空まても

 おもへハかなし夜ハの月かけ

百四十七番

   左

 うつろはてしハししのたのもりをみよ

 かへりもそするくすのうらかぜ

   右

 きえぬへき露の我身のをき所

忍草下絵和歌巻断簡「あさがすみ」 

本阿弥光悦/書 俵屋宗達/下絵  紙本金銀泥下絵  江戸前期

宗達による金銀泥絵に『新古今和歌集』より藤原清輔の春歌を記す。金銀泥絵は慶長年間(15961615)、光悦の書などの下絵として俵屋宗達が制作した料紙。主に版木を用いて金、銀のみで図様を描く。本図では忍草を、檜の葉などの実際の葉を版木代わりに用いて表わしたと考えられる。

あさかすみ

      ふかく

    見ゆるや

    

         たつ

  室のやし

         まの

   わたりなるら

         ん

撫子図屏風

  紙本金地著色 江戸前期

江戸時代_撫子図屏風 (800x188).jpg 

撫子 (800x600).jpg

 清少納言が「草の花はなでしこ。唐のはさらなり。大和のもいとめでたし」と述べているように、古来撫子(常夏)は、夏秋を代表する花として愛でられた。

七夕に・「撫子合」が行われ、花の優劣を競ったものとも伝えられる。

本図はそうした撫子に因む和歌を散らし書きにしたもの。「後撰和歌集」「新古今和歌集」「詩花和歌集」から十四首の和歌が選ばれている。 

花は霞のように、屏風の中段と下段に配されている。撫子を描く小屏風は、高貴な女性の調度としてよく見出だされ、好まれた意匠であったことがうかがわれる。

ここに描かれるのは唐撫子として知られる石竹。五弁の花びらが赤や薄桃色、白のさまざまな表情で描かれ、愛らしく品格に富む。

読人しらす

二葉より我しめゆひし撫子の

花の盛をひとにをらすな            (後撰和歌集巻第四 夏)

ひとしれすわかしめしのゝ撫子は

はなさきぬへきときそ来にける   (後撰和歌集巻第四 夏)                                                

我宿のかきねにうへし撫子は

花にさかなむよそへつゝ見む      (後撰和歌集巻第四 夏)

常夏の花をたにミはことなしに

すくす月日もミしかゝりなむ     (後撰和歌集巻第四 夏)

太政大臣

なてし子はいつれともなくにほへとも

をくれてさくはあはれ也けり    (後撰和歌集巻第四 夏)

高倉院御歌

しら露の玉もてゆへるませのうちに

ひかりさへそふとこなつの花 (新古今和歌集巻第三 夏歌)

伊勢

いつこにもさきはすらめとわかやとの

やまとなてしこ誰にみせにし      (拾遺和歌集巻第二 夏)

和泉式部

みるか猶このよのものにおほえぬは

からなてしこの花にそありける(千載和歌集巻第三 夏歌)

藤原経衡

うすくこくかきほににほふ

撫子の花の色にそ露も置ける      (詞花和歌集巻第ニ 夏)

題しらす

よミ人しらす

なてしこの花ちりかたに成りにけり

わかまつ秋にちかくなるらし     (後撰和歌集巻第四 夏)

修理大夫顕季

たねまきし我撫子の花盛

いく朝露のをきてみつらむ      (詞花和歌集巻第二 夏)

中納言定頼

常夏のにほへる庭はからくにに

をれる錦もしかしとそ見る (後拾遺和歌集巻第四 秋上)

能因法師

いかならむ今夜のあめにとこなつの

けさたに露のおもけなりつる (後拾遺和歌集巻第四 秋上)                     

曽禰好忠      

きてみよといもか家路につけやらむ

われひとりぬるとこなつの花(後拾遺和歌集巻第四 秋上)

なお、六月三十日は一年の折り返し、夏越の祓の日。

残り半年の無病息災を願って、夏越と七夕をテーマにしたミニ茶会が、細見美術館 茶室「古香庵」にて630日と71日開催された。

会期終了まであとわずか。お見逃しなく。

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                   遊楽図高坏

会期 

 2012519()78()

 *期間中、展示替えあり

開館時間

 午前10時~午後6

(入館は、午後530分まで)

 休館日

 毎週月曜日(祝日の場合、翌火曜日)

入館料

 一般1000円(800円)

 学生800円(600円)

( )内は20名以上の団体料金

 主催

 細見美術館

読者プレゼント 

   1020名様にご招待券 プレゼント

   あて先 :  loewy@jg8.so-net.ne.jp

   件名:展覧会名と会場名

   本文:ご住所、お名前

   をお書きの上どしどしご応募下さい。

   発送をもって当選と代えさせていただきます。


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