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エル・グレコ展 [美術館  ARTNEWS アートニューズ]

エル・グレコ展

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エル・グレコ〈悔悛するマグダラのマリア〉 1576年頃

ブダペスト国立西洋美術館 [コピーライト]Museum of Fine Arts, Budapest, 5640

スペイン絵画の巨匠、エル・グレコの大回顧展が、東京都美術館で開催中である。

没後400年を迎えることを記念しての日本国内史上最大の展覧会だ。

25年前にエル・グレコ展は開かれたが、大阪では去年初めて開かれ、その巡回展だ。

 

 エル・グレコ(本名ドメニコス・テオトコプーロス、1541~1614年)は、16~17世紀のスペイン美術黄金時代に活躍し、ベラスケス、ゴヤとともにスペイン三大画家の一人に数えられる。

エル・グレコは、ギリシャのクレタ島に生まれ、ヴェネツィア、ローマでの修行時代を経た後、スペイン・トレドにたどりつき、揺らめく炎のように引き伸ばされた人物像が印象的な宗教画や独自の肖像画を描いた。

そして、それらは、スペインの当時の宗教関係者や知識人から圧倒的な支持を得る。

しかし、エル・グレコという名は、ギリシャ人という意味なのだ。

スペイン来訪前にイタリアにいたためイタリア語で「ギリシャ人」を意味するグレコにスペイン語の男性定冠詞エルがついた通称である。

筆者は、2年ほど前、イタリアのヴェネチアの美術館でエル・グレコの小さな三連祭壇画を見つけた。

また、同じくイタリアのモデナのエステンセ美術館の三連祭壇画を鑑賞している。

筆者が見たモデナの三連祭壇画はこの展覧会の図録に参考としてプラド美術館のレティシア・ルイス・ゴメス学芸員が記している。

モデナに関しては、以下にも記しているので参照されたし。

http://artnews.blog.so-net.ne.jp/2012-12-15

それらの作品の流転の歴史は調べていないが、エル・グレコが描いた後、そのままヴェネチアに残されていたとしたら・・・また、どのようにしてエステ家が手に入れたのか・・・と思いをめぐらした。

 エル・グレコは、ヴェネツィア派で最も重要な画家の一人、ティツィアーノ・ヴェチェッリオに弟子入りをしたか、もしくは工房の外でその様式を学んだ可能性がある。

色彩や遠近法、解剖学、油彩技法の使用、西欧流の技法や図像、地図製作の知識など、ヴェネツィアで習得していった。

その後、エル・グレコはスペインで多くの作品を残すことになる。

故にギリシャ人でありながら、スペイン三大画家の一人に数えられるのだ。

ちなみにルーブル美術館も、エル・グレコの作品をスペイン絵画のセクションに分類している。

エル・グレコが活躍した時代のスペインは、レコンキスタでの勝利とコロンブスによるアメリカ海域での新世界の侵略、そしてカール5世の国王就任により急激に力を強めており、まさに黄金時代を築いていた。

スペインでの初仕事は、トレド大聖堂から依頼された『聖衣剥奪』(製作期間1577-79)の絵画であった。

『聖衣剥奪』は、新約聖書に残るキリストが十字架に架けられる直前に衣服を剥がれる姿が主題である。

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参考作品 エル・グレコ (聖衣剥奪) トレド大聖堂1577年頃 トレド、スペイン 

[コピーライト]Parroquia de  Catedral de Toledo. Toledo. Spain.

※注 この作品は今回出展されていない。

新約聖書の原本はギリシャ語で書かれており、同国の出身であるグレコは大聖堂の聖職者達よりも原文をよりいっそう理解していたのだ。

『聖衣剥奪』は絵画の中心に座するキリストの外套を、それまであまり見られなかった鮮やかな赤で描いたことが、まず、独創的であった。

エル・グレコは、もともとのモチーフの色に特別な顔料を使用し、当時の画家とは全く違う色を使用していた。その色こそがエル・グレコのアイデンティティである。

次に「キリストに対する冒涜」(マリアが3人登場していること、キリストの頭より群衆の位置が高く描かれていること)を理由に報酬を踏み倒そうとした。

エル・グレコは裁判で争うが、大聖堂は彼を異端審問にかけると仄めかし、結局調停案(当初グレコが提示していた額の約三分の一の支払い)を受け入れざるを得なかった。

3人のマリアは左から小ヤコブの母、原義の聖母マリア、マグダラのマリアと解釈されているが、異論も多い。

この『聖衣剥奪』の制作の後、1605年頃、エル・グレコによって制作されたレプリカがこの展覧会で展示されているのも見どころのひとつ。

聖衣剥奪DSCN0793  (600x800).jpg

エル・グレコ (聖衣剥奪) 1605年頃 

サント・トメ教区聖堂、オルガス

[コピーライト]La parroquia de Santomas Apostol de Orgas.  浦 典子撮影

エル・グレコは、トレドの職人家庭の出身であるヘロニマ・デ・ラス・クエバス(Jeronima de las Cuevas)という愛人との間に息子を一人儲けている。

この展覧会に出展されている「白貂の毛皮をまとう貴婦人」の絵のモデルであろうとも考えられている。諸説があるが、何ともミステリアスな絵で見る人を惹きつける。

3 白貂の毛皮をまとう貴婦人 (622x800).jpg

エル・グレコ〈白貂の毛皮をまとう貴婦人〉 1577-1590年頃

グラスゴー美術館(ポロック・ハウス)、イギリス [コピーライト]Culture and Sport Glasgow (Museums)

国立西洋美術館の川瀬祐介研究員によると、エル・グレコは、祭壇にひざまずき、絵を見上げた時にどう見えるかを常に意識していたという。また、絵を見る人の心をどう掴むか、リンクするかを模索していた。

エル・グレコは、息子と数人の弟子のみでフォロワーが生まれなかった大変ユニークな存在であったという。

この展覧会の構成は、以下の4章から成る。

第1章「肖像画家エル・グレコ」

 エル・グレコの肖像画とそれに密接に関連する作品群を紹介。

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エル・グレコ〈修道士オルテンシオ・フェリス・パラビシーノの肖像〉 1611年 

ボストン美術館 Photograph [コピーライト] 2012 Museum of Fine Arts, Boston.

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エル・グレコ〈フェリペ2世の栄光〉 1579-1582

エル・エスコリアル修道院、スペイン

[コピーライト]PATRIMONIO NACIONAL, Real Monasterio de San Lorenzo de El Escorial

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エル・グレコ〈聖アンナのいる聖家族〉 1590-1595年頃 

メディナセリ公爵家財団タベラ施療院、トレド、スペイン 

[コピーライト]Fundacion Casa Ducal de Medinaceli, Hospital de Tavera, Toledo, Spain

第2章「クレタからイタリア、そしてスペインへ」

 画家の遍歴と画業の変遷を検証。

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エル・グレコ〈受胎告知〉 1576年頃 ティッセン=ボルネミッサ美術館、マドリード

[コピーライト]Museo Thyssen-Bornemisza, Madrid

 

 

第3章「トレドでの宗教画:説話と祈り」

 エル・グレコの全制作の中でも最も大きな割合を占める祈念画の作例を紹介。

第4章「近代芸術家エル・グレコの祭壇画:画家、建築家として」

 数々の聖堂の祭壇画として制作された作品群を紹介。

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エル・グレコ〈聖マルティヌスと乞食〉 1599年頃

奇美博物館、台南、台湾 [コピーライト]CHI MEI MUSEUM, TAINAN, TAIWAN

 この展覧会にはプラド美術館、ボストン美術館など、世界中の名だたる美術館やトレドの教会群から油彩50点以上、10ヶ国37か所からの作品が集結するという豪華さだ。

内、台湾からの作品も一点含む。

この展覧会の監修者、フェルナンド・マリーアス[マドリード自治大学教授、王立歴史アカデミー会員]に記者内覧会の時に筆者がインタビューしたところ、4年あまりの長い年月をかけて準備をしたという。

フェルナンド・マリーアス教授は、エル・グレコ研究の世界的レベルでの第一人者だ。

彼は、エル・グレコを歴史に埋もれた画家という。

20世紀以降に、再評価され始めたのだ。

日本では、1900年前後に日本に紹介されていた。

フランスに滞在していた画家、児島虎次郎は、パリの画廊でエル・グレコの『受胎告知』が売りに出されていたのを眼にした。

この作品の素晴しさを見抜いた児島は、自身の出資者である大原孫三郎に送金を依頼する。

大原も送られてきた写真を見て了承し、児島は『受胎告知』を購入すると日本へ持ち帰り、こうして『受胎告知』は、大原美術館所蔵となった。

これは、エル・グレコの晩年の作品である。

この『受胎告知』が日本にあることは奇跡とまで言われている。

この展覧会では、マドリッドにあるティッセン=ボルネミッサ美術館の『受胎告知』が展示されている。

http://www.museothyssen.org/en/thyssen/home

ティッセン=ボルネミッサ美術館は、筆者のお気に入りの美術館で、職員の方々の応対もよく、珠玉の名品がコレクションされている。

2週間にマドリッド滞在中、ほぼ毎日通ったレストラン「Museo del Jamon」にも大変近い。

その話をフェルナンド・マリーアス教授にしたところ、教授もお好きなレストランとのことであった。

 

2 受胎告知 (669x800).jpg

エル・グレコ〈受胎告知〉 1576年頃 ティッセン=ボルネミッサ美術館、マドリード

[コピーライト]Museo Thyssen-Bornemisza, Madrid

 この展示されている『受胎告知』は、1576年頃、エルグレコ33歳、スペインに渡ったばかりの頃の作品である。

この基本的構成は、大原美術館所蔵の『受胎告知』へと継承されている。

日本にあるエル・グレコの作品は、これと国立西洋美術館にある『十字架のキリスト』(制作年不明)の2点のみである。

エル・グレコの絵から、筆者は、2つの点を感じた。

一つ目は、独特の輪郭線。この暗い線は、エル・グレコの個性であるが、筆者には日本画からの影響を感じるのである。

同世代の狩野永徳あたりの絵をエル・グレコが見ていたとしたら・・・とロマンは広がる。

次に、十頭身の上に引き延ばされたような人物像だ。

彼の絵からは、時空を超えてアメデオ・モディリアーニの細長い肖像画を彷彿させる。

モディリアーニは、顔と首が異様に長いプロポーションで目には瞳を描き込まないことが多いのは彫刻からの影響が見られるが・・・

しかし、モディリアーニは、おそらくエル・グレコの絵を見ていたにちがいないと筆者は想像を膨らませる。

そのことを国立国際美術館の安來正博主任研究員に伺ったところ、「全く新しい着想でおもしろい。言われてみるとそのように見て取れる。全く外れているとは言えない。」

とのことであった。

高さ3メートルを超える祭壇画の最高傑作の一つ《無原罪のお宿り》も初来日し、まさに「奇跡の集結」といえよう。

1 無原罪のお宿り (396x800).jpg

エル・グレコ〈無原罪のお宿り〉 1607-1613

サン・ニコラス教区聖堂(サンタ・クルス美術館寄託)、トレド、スペイン 

[コピーライト]Parroquia de San Nicolas de Bari. Toledo. Spain.

大阪と東京の2都市のみの開催。

お見逃しなく。

■会期:2013119() 47()

■会場:東京都美術館 企画棟 企画展示室

■休室日:毎週月曜日

■開室時間

午前930分から午後530分まで(入室は午後5時まで)

■夜間開室:毎週金曜日は午前930分から午後8時まで(入室は午後730分まで)

主催

東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、NHKNHKプロモーション、朝日新聞社

後援

外務省、スペイン大使館

協賛

損保ジャパン、大日本印刷、竹中工務店、ソフトニック

協力

スペイン政府観光局、エールフランス航空、全日本空輸

観覧料

当日 一般1,600円/学生1,300円/高校生800円/65歳以上1000

■団体 一般1,300円/学生1,100円/高校生600円/65歳以上800

※団体は20名以上

※中学生以下無料

※身体障がい者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障がい者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方とその付添の方(1名まで)は無料

※毎月第3水曜日はシルバーデーとし、65歳以上の方は無料

※毎月第3土・翌日曜日は親子ふれあいデーとし、18歳未満の子を同伴する保護者(都内在住)は一般当日料金の半額

*いずれも証明できるものをご持参のこと。

☆読者プレゼント 

   510名様にご招待券 プレゼント

   あて先 :  loewy@jg8.so-net.ne.jp

   件名:展覧会名と会場名

   本文:ご住所、お名前

   をお書きの上どしどしご応募下さい。

   発送をもって当選と代えさせていただきます。

※画像の無断転載禁止


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